線路に立ち入り轢かれてしまった認知症の高齢者に関して、JR東海が遺族に対して損害賠償を請求していた事件で、最高裁は、3月1日、原審を覆しJR東海の逆転敗訴となる判決を下しました。新聞各紙やテレビ等でも大きく取り上げられ、世間の関心の大きさが窺われます。私も判決後まもなく裁判所のホームページの判決文を確認しようとしましたが、アクセスが殺到したためかすぐには閲覧できなかったほどです。
この事件では、認知症の高齢者(事故当時91歳)の奥様(同85歳)とその間の長男などの家族の法的責任が問われました。
民法713条は、「精神上の障害により自己の行為の責任を弁識する能力を欠く状態にある間に他人に損害を加えた者は、その賠償の責任を負わない」と定めています。今回の事故で損害を受けたJR東海は、重い認知症にり患していた高齢者自身(実際にはお亡くなりになっていますので、その相続人)に対しては、賠償の請求をすることが困難でした。
こうした場合に備えて、民法714条1項は、「責任無能力者を監督する法定の義務を負う者は、その責任無能力者が第三者に加えた損害を賠償する責任を負う」と定めています。JR東海は、この条文を根拠に、認知症の高齢者の家族が「監督する法定の義務を負う者」(監督義務者)あるいはこれに準ずる者(準監督義務者)であるなどとして、名鉄に支払った振替輸送費用等の合計719万円余りの損害賠償を求めました。
第一審判決(名古屋地裁・平成25年8月9日)では、高齢者の奥様と長男に対する請求全部を認め(ただし、奥様については一般不法行為構成、長男については準監督義務者構成)、JR東海がほぼ全面的に勝訴しました。
控訴審(名古屋高裁・平成26年4月24日)では、長男に対する請求は棄却し、奥様に対する請求のみを認め(監督義務者構成)、金額については半額に減額したものの、やはり請求を認めたことには変わりありませんでした。
これに対し、遺族側、JR側双方が上告したところ、最高裁は、(1)配偶者や長男であるといった家族関係があるということのみでは監督義務者には該当しない(2)監督義務を引き受けたとみられるべき特段の事情があれば監督義務者に準ずる者として責任を負うが、今回はそういった事情もないなどとして、奥様や長男に対する請求を退け、JR東海の全面敗訴となる判決を言い渡しました。
今回の最高裁判決は、マスコミでは「認知症患者の遺族の責任否定」などと大きく報道されたものですが、判決文を検討すると、必ずしもそのような内容にはなっていないようです。
最高裁は、一定の家族関係があるからといって直ちに監督義務者にあたるものではないとする一方で、認知症患者の生活や健康状態、家族関係の有無や濃淡、日常的な交流の状況、財産管理の状況などといった諸事情を考慮して、「監督義務を引き受けたとみるべき特段の事情」がある場合には、準監督義務者として法的責任を負うとしています。
認知症患者へのかかわり合いの濃さ次第では、誰もが準監督義務者としての責任を負う可能性があるという意味では、一般論としては、むしろ責任を負うべき人の範囲を広げたとも捉えられるものです。
しかも、責任を負うべき人の範囲については、今回の最高裁判決の判断基準をもっても未だ不明確です。今回の最高裁判決を下した5名の裁判官のうち、3名の多数意見は、奥様、長男ともに準監督義務者には当たらないと判断していますが、2名の裁判官(岡部、大谷両裁判官)による補足意見では、長男は準監督義務者にあたり、ただ、監督義務を怠らなかったため免責される(民法714条1項但書)、と判断しています。
今回最高裁が定立した(準)監督義務者の判断基準の下、今後は、個別の裁判例等により基準がより明確化されていくはずですが、それでもなお不確定な要素が残るものと思われます。高齢化社会における高齢者や精神障害者の自己決定権の尊重、介護の担い手の問題、多様化する家族のあり方に加え、発生した損害の公平な分担といった様々な価値軸を調和していく法解釈の実践や社会政策の実施が期待されます。
弊事務所では、認知症の患者を含めた高齢者に関する法的サポートを提供していますので、お困りごとがありましたらお気軽にご相談ください。