皆さま、こんにちは。
今回は、裁判員裁判で死刑判決が出されていた事件について、高裁がこれを変更して無期懲役とし、最高裁判所がこれを認める判断をした件についてお話ししてみたいと思います。
これまで、死刑判決を出すか否かについては、いわゆる永山基準という判断基準にあてはめた判断がなされてきました。
すなわち、「犯行の罪責、動機、態様、殺害の手段方法の執拗性・残虐性、結果の重大性、殺害された被害者の数、遺族の被害感情、社会的影響、犯人の年齢、前科、犯行後の情状などを考察したとき、その罪責が誠に重大であって、罪刑の均衡の見地からも、一般予防の見地からも、極刑がやむをえないと認められる場合には、死刑の選択も許される。」との考え方に従って判断するとするものです。
ところが、凶悪事件の発生の影響や諸外国の法制度の状態等から、司法における国民参加が求められ、「さまざまな人生経験を持つ裁判員と裁判官が議論することで、これまで以上に多角的で深みのある裁判になることが期待され」(最高裁判所HP裁判員制度Q&A)た制度として、裁判員裁判が導入されるに至りました。
かかる導入の経緯からすると、量刑に対して市民感覚が反映されることが期待されているといえるのですが、今回なされた判断は、一見すると従前の考え方に後退してしまうかに見えるものでした。
死刑という人の命を奪うという刑罰は、日本の裁判所では残虐な刑罰には当たらないと判断されていますが、欧米では死刑廃止とする国が少なくいことからも、これを科すことには謙抑的であることが求められる性質の刑罰であることがうかがわれるものと思います。
一方で、いわゆる相場にとらわれずに、市民感覚を反映した判断がなされるべきとの意見も一理あるように思います。
裁判員制度は、平成21年に始まったものであり、制度としては日が浅いといえることから、今後、今回のようなケースも含めて、様々な議論がなされていくものと思われますので、関心を持ち続けていきたいと思います。