言うまでもなく、万引き(窃盗)は犯罪行為です。ただし、欲しい物があるけどお金がない、お金がもったいないなど、経済的な理由により窃盗を行うケースばかりではありません。
精神疾患の症状により、お金はあるのに万引きしてしまう、逮捕されても窃盗を繰り返してしまうという方がいます。このような窃盗行為に依存する精神疾患(精神障害)を「クレプトマニア」と呼び、日本語では「窃盗症」や「病的窃盗」などと訳されます。
クレプトマニアが原因で窃盗をしてしまった場合でも、逮捕、起訴されるケースがあります。もし裁判になった場合は、クレプトマニアを理由に無罪が認められる可能性はあるのでしょうか?
今回のコラムでは、クレプトマニアの詳細や、クレプトマニアが刑罰に与える影響などを、刑事事件に詳しい弁護士が解説します。
さまざまな犯罪がある中で、最も多く発生しているのが窃盗です。
犯罪白書(令和5年版)によると、2022年に警察が発生を認知した犯罪の件数は約60.1万件で、そのうち窃盗は40.7万件。割合にして68%ほどを占めます。
犯行に至る動機は、生活苦などの経済的な理由が大半ですが、クレプトマニアが原因となっているケースも少なくありません。たとえば、お金に困っているわけでもないのに窃盗をしてしまう場合や、何度も逮捕されているのに犯行を繰り返す場合は、クレプトマニアである可能性があります。
クレプトマニアは窃盗行為が止められない依存症の一種です。
以前、万引きに成功したときの高揚感や達成感が忘れられない、強いストレスや不安を紛らわせるためなど、クレプトマニアにはさまざまな原因があります。また、拒食症や過食症などの摂食障害と併発するケースが多いとも考えられています。
クレプトマニアの大きな特徴は、お金が足りないから盗むというような一般的な窃盗とは異なり、窃盗行為そのものが目的となっているという点です。そのため、お金を持っているのに盗んでしまう場合や、他者から責められたり、逮捕されたりしても窃盗を繰り返してしまうことがあります。
また、窃盗の後で強い罪悪感を抱き、深く反省したとしても、窃盗に依存してしまっているため、犯行を止めることが困難な方もいます。クレプトマニアを克服するためには、医療機関で適切な診断と治療を受けたり、自助グループなどのサポートを受けたりすることが重要です。
アメリカの精神医学会が取りまとめた精神疾患の診断基準(DSM-5)に、クレプトマニアの診断基準も記されています。具体的には次の5項目です。
ただし、クレプトマニアに該当するかどうかを判断するには、医師の診断を受けることが重要です。診断を受けたら、専門的な医療機関への通院やカウンセリングなどといった治療を通じ、クレプトマニアの克服を目指していくことになります。
窃盗を犯してしまっても、必ず逮捕されてしまうわけではありません。
たとえば、初犯で被害額も少ないような場合や、被害を弁償して被害者との示談が成立しているような場合は、逮捕されないケースがあります。また、不起訴処分を獲得したり、起訴されても実刑を回避できたりする可能性も高いでしょう。
しかし、クレプトマニアの場合、窃盗が複数回に及んでしまっていることが多いため、逮捕されて起訴される可能性も高くなってしまいます。
裁判で被告人側が、「心神喪失により責任能力がない」などとして、無罪を主張しているのをニュースなどでご覧になったことがある方もいるでしょう。
責任能力とは、善悪を判断する能力(事理弁識能力)や、判断に従って行動を制御する能力(行動制御能力)のことです。そして、精神疾患などにより、これらの能力が失われている状態を心神喪失といいます。
法律では、「心神喪失者の行為は、罰しない」と定められています(刑法第39条1項)。被告人が心神喪失者にあたり、責任能力がないと裁判官が判断した場合、無罪が言い渡される可能性があるのです。
それでは、精神疾患の一種であるクレプトマニアにより、窃盗に及んでしまった場合、心神喪失を主張して、無罪が認められる可能性はあるのでしょうか。
クレプトマニアが原因で窃盗行為をしてしまったとしても、無罪が認められる可能性は低いでしょう。窃盗が悪いことだと理解していたり、店員などにバレないよう犯行に及んでいたりすれば、心神喪失者ではないと裁判官に判断される可能性が高いからです。
また、犯罪行為を繰り返すと、刑罰も厳しくなることが一般的です。そのため、初犯は不起訴処分や執行猶予だったとしても、何度も窃盗に及んでいると、徐々に厳しい刑罰が科されることも考えられます。
心神喪失が認められなかったとしても、心神耗弱による刑罰の減軽が認められる可能性があります。
心神耗弱とは、事理弁識能力や行動制御能力が著しく低い状態のことです。法律では、「心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する」と定められています(同法第39条2項)。
しかし、クレプトマニアだからといって、心神耗弱による刑罰の減軽が必ず認められるとは限りません。犯行当時の状況や症状の程度、今後の治療やサポートの体制など、さまざまな事情を考慮して判断されることになります。
クレプトマニアを理由に刑罰が軽くなり、再犯でも執行猶予が認められた裁判例があります。一方、クレプトマニアの診断を受けていても、実刑判決が出された裁判例も少なくありません。
ここでは、クレプトマニアにより執行猶予が認められた裁判例と、実刑判決が出された裁判例をそれぞれご紹介します。
窃盗により1年の懲役に処され、3年間の執行猶予期間中だったにもかかわらず、窃盗に及んだ事例です(静岡地方裁判所浜松支部判決令和3年2月10日)。
被告人は過去にも2度にわたり窃盗で罰金刑を受け、今回は執行猶予期間中の犯行だったほか、被害額も少額とは言えませんでした。そのため、検察官は被告人の実刑を求めましたが、裁判官は次のような事情から、保護観察付きの執行猶予を認めました。
被害者との示談が成立しているほか、クレプトマニア(窃盗症)などの治療を受け、再犯防止に取り組んでいる点などが評価され、執行猶予が認められました。
クレプトマニアを酌量すべき事情として考慮するのは相当ではないとして、実刑が言い渡された事例です。(大阪高等裁判所判決平成26年7月8日)。
スーパーマーケットで大量の食料品を盗んだ被告人は、過去に窃盗で3回の前歴があるほか、執行猶予が付いた懲役を2回受けていました。本件は第一審で10か月の懲役が言い渡されており、クレプトマニアの診断を受けている点を考慮すべきとして被告人側が控訴していました。
裁判官は次のような点から、被告人がクレプトマニアだったとしても、犯行当時の衝動や行動を制御する能力に及ぼす影響は軽微だったと判断しました。
一方で裁判官は、被告人が治療や被害回復などに取り組んでいる点や、前回の執行猶予期間が経過している点などを有利な事情として評価。しかし、執行猶予付きの有罪判決を2度受けながら、またしても窃盗に及んでおり、10か月の実刑は不当に重すぎるとは言えないとして、原判決を維持しました。
クレプトマニアの診断を受けて治療に臨んでいたり、被害回復に取り組んでいたりしても、犯行時の状況によっては実刑を避けられない可能性があるのです。
クレプトマニアが原因で窃盗に及び逮捕されてしまったとしても、不起訴を獲得できたり、執行猶予となったりする可能性はゼロではありません。もちろん、起訴されて実刑判決を言い渡されることも十分に考えられます。
そのため、逮捕されてしまった場合は、適切に対応することが求められます。特に、逮捕後72時間以内にできるだけ早く弁護士へ相談することが重要です。
この期間中、被疑者と会うこと(接見)ができるのは弁護士だけです。そして、弁護士のアドバイスを受けないまま警察や検察官の取り調べを受けていると、今後の状況が不利になってしまうかもしれません。
また、弁護士に依頼すれば、被害者から宥恕(許し)を得ることを念頭に、示談交渉を進めます。また、クレプトマニアは治療や社会復帰に向けたサポートが重要なので、必要に応じて医療機関や自助グループなどと連携し、今後の治療方針やサポート体制を一緒に検討します。
このように、有利な事情として評価される状況を整えて不起訴処分の獲得や、起訴されたとしても実刑の回避を目指してくれるのです。
弁護士法人プロテクトスタンスには、刑事事件の経験が豊富な弁護士が在籍しています。事件の見通しの判断力や被害者との交渉力には自信がありますので、ぜひ安心してお任せください。