
顧客や取引先からの度を越した不当な要求や悪質な暴言――。カスタマーハラスメント(カスハラ)は、現場の業務に著しい支障をきたすだけでなく、従業員の離職と採用・教育コストの増大、SNSの炎上による企業イメージの低下など、経営全体に甚大なリスクをもたらします。
多くの企業にとってカスハラ対策は喫緊の課題ですが、正当なクレームとの線引きの難しさなどが原因で、必ずしも十分な対応や予防策を講じることができている状況ではありません。
こうした課題の深刻化に対応するため、労働施策総合推進法(労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律)の改正法が2026年10月に施行。全国すべての事業主に対し、カスハラ対策が法的に義務付けられることとなりました。
今回のコラムでは、改正法の施行で義務付けられるカスハラ対策の内容や、企業が講じるべき具体的な対応策、対策を怠った場合のリスクなどを、企業法務に詳しい弁護士が詳しく解説します。現場での対応に苦慮されている方や、まだ十分な社内体制を整えられていない方は、ぜひ最後までお読みください。
法改正への対応を検討するにあたり、まずは従業員がどのようなカスハラ被害を受け、企業が十分な対策を講じることができているのか、実態を把握することが重要です。
東京都が2025年に実施した「カスタマーハラスメントに関する実態調査」の結果をもとに、従業員のカスハラ被害や企業による対策の状況などを、データから読み解いていきましょう。
東京都の調査結果によると、過去1年間にカスハラ被害にあった従業員は11.9%。見聞きしたことはある従業員の29%を含めると、40.9%の従業員が被害を認識していました。

対象:全従業員(n=3,817)
出典:東京都「カスタマーハラスメントに関する実態調査」の調査結果の概要をもとに作成
被害にあった従業員にカスハラを受けた場面を尋ねたところ、「電話・メール」(69.5%)や「対面(接客時)など」(47.9%)が多く挙げられたほか、「インターネット・SNS」の回答も4.4%ありました。
カスハラの内容として最も多かったのは「継続的な、執拗な言動」(61.6%)で、「威圧的な言動」(55.0%)と「精神的な攻撃」(45.0%)が続きました。また、その他の回答の中に「許可のない顔の写った写真のSNS投稿」があり、カスハラの場面と同様、SNSを通じたカスハラ被害の実態が浮き彫りになりました。
多くの従業員がカスハラ被害を受けたり、見聞きしたりしているものの、企業側は必ずしも防止対策に取り組めている状況ではありません。
カスハラ防止対策に実際に取り組んでいる企業は38.5%。約6割の企業は防止対策に取り組めていないのが実情です。

対象:全企業(n=4,727)
出典:東京都「カスタマーハラスメントに関する実態調査」の調査結果の概要をもとに作成
対策に取り組めていない理由として最も多く挙げられたのが「正当なクレームとの判断の難しさ」(29.6%)。そして、「ノウハウ不足」(23.8%)と「発生状況の把握が困難」(16.7%)が続きます。
「正当なクレームとの判断の難しさ」を理由に挙げる企業が最も多いというデータは、カスハラの線引きを自社だけで判断しきれずにいる実情を示しているといえるでしょう。その結果、カスハラの判断基準、発生時の対応方法や流れなどを確立できず、防止対策を進められない要因になっていると考えられます。
しかし、改正労働施策総合推進法の施行により、カスハラ対策は法的な義務となります。施行日が目前に迫る中、カスハラの定義や判断ポイントを把握し、自社の事業やサービスに応じた対策を検討することが重要です。
従業員が受けた強い苦情や要望のすべてがカスハラに該当するわけではなく、正当なクレームが含まれている場合もあります。企業が適切な対策を講じるためには、まず顧客や取引先のどのような行為がカスハラに該当するのか、正しく判断する必要があります。
カスハラは法律によって次のように定義されています(改正労働施策総合推進法(2026年10月1日施行)第33条1項)。
定義にある「顧客」には、実際に商品を購入したり、サービスを利用したりした人だけでなく、今後、購入したり利用したりする可能性がある人も含まれます。
また、顧客には取引先なども該当するため、BtoCの企業はもちろん、BtoBの企業にもカスハラ対策が求められることを理解しておきましょう。
それでは、職場で顧客などから強いクレームや要求を受けた際、その言動がカスハラにあたるかどうかをどのように判断すればよいのでしょうか。
重要な判断ポイントは、「要求の内容」と「要求を実現するための方法」の両方に着目することです。社会的な常識や価値観を踏まえ、どちらか一方でも許容範囲を超えていれば、カスハラに該当すると考えてよいでしょう。
まず、要求の内容に関しては、商品やサービスの不備に対して交換や返金、補償などを求める行為は妥当な要求と考えてよいでしょう。一方で、商品の金額に対して不当に高額な支払いや、サービスとは無関係な対応などを求められた場合は、カスハラに該当する可能性があります。
また、要求の内容が妥当でも、実現するための方法として次のような行為があった場合、カスハラに該当すると考えられます。
顧客の要求内容や言動によって、従業員の就業環境が害されたかどうかも大切なポイントです。妥当とは言えない要求を受けても、従業員の説明などによって要求がすぐに取り下げられたような場合、カスハラには該当しないと考えられます。
顧客からのクレームが商品やサービスの改善につながるケースもあるため、カスハラに該当するかどうかを判断するための明確な基準を定めるのは容易ではありません。しかし、従業員にとって安全な就業環境を確保するためにも、自社の商品やサービスの内容、これまでに報告されたカスハラ被害の詳細などを踏まえ、判断基準の明確化を進めることが求められます。
もっとも、判断基準を定めても、判断を現場の担当者の裁量に委ねると、対応の遅れや判断のばらつきを招きかねません。判断に迷う事案が生じた際、誰にどう相談するかをあらかじめ決めておくことも、判断基準の確立と同様に重要です。

カスハラ対策は企業にとって重要な課題ですが、自治体や行政による対策も進められてきました。
たとえば、東京都では全国に先駆けて「東京都カスタマー・ハラスメント防止条例」を制定し、2025年4月に施行。カスハラ防止に向けた対応や被害を受けた従業員の安全確保などが、事業者の努力義務に位置付けられました。
そして、改正労働施策総合推進法が2026年10月に施行され、カスハラ対策の措置を講じることが事業主の法的な義務となります。
カスハラ対策が義務付けられるのは、業種や規模を問わず、従業員を雇用するすべての事業主です。つまり、従業員や顧客、取引先が少ない中小企業なども、対応を後回しにすることはできません。
改正労働施策総合推進法の施行により、カスハラ対策は事業主の「雇用管理上の措置義務」となります。具体的には、次の措置を必ず講じなければなりません(同法第33条1項)。
また、対策を講じるにあたっては、ほかの法律で認められている権利や、定められている義務、禁止事項などにも留意することが重要です。たとえば、障害者差別解消法では、障害を理由とする不当な取り扱いの禁止や合理的配慮の提供義務が定められています。
一見すると不当・過大に思える要求を受けても、法律にもとづく正当な権利行使の可能性があります。安易にカスハラと決めつけて対応することがないよう注意が必要です。
カスハラ対策として事業主が講じるべき措置の一つに、「カスハラの内容とあらかじめ定めた対処の内容」の周知があります。
対処の内容の一例として、改正労働施策総合推進法の施行にあたって厚労省が策定した指針の中で、次のような方法が示されています。
ほかにも、カスハラ被害を防止するために望ましい対応として、次のような取り組みが例示されています。
さらに、自社の従業員が取引先などにカスハラを行う可能性もあるとして、従業員を保護する旨の方針に加え、カスハラを行ってはならない旨の方針を示すことも望ましいとしています。

すでにご説明した通り、カスハラの定義にある「顧客」には取引先なども含まれるため、従業員が取引先からカスハラ被害を受けるだけでなく、逆に加害者となってしまう可能性もゼロではありません。
もし、自社の従業員が取引先の担当者などに対してカスハラを行った場合、企業自身が使用者責任(民法第715条)を問われ、損害賠償を命じられるリスクがあります。
従業員のカスハラによって、企業側の「使用者責任」が認められ、損害賠償の支払いが命じられた実際のケースを見てみましょう。
医療機器を販売する会社の従業員2名が、最大の顧客である病院の担当者から数々の暴行・脅迫などを受け、精神的苦痛を被ったとして、担当者と病院に損害賠償を請求した裁判例があります。
裁判所は、担当者の不法行為責任(民法第709条)に加え、病院側の使用者責任も認め、合計で60万円の慰謝料の支払いを命じる判決を下しました(長野地裁飯田支部判決令和4年8月30日)。
判決の内容からもわかるように、従業員が取引先などに対してカスハラを行うと、従業員を雇用する企業側も責任を問われる可能性があります。そのため、改正労働施策総合推進法や厚労省の指針では、自社の従業員をカスハラ被害から守ることはもちろん、他社の従業員に対するカスハラを予防する対策なども事業主に求めています。
企業は被害を防ぐ体制だけでなく、加害者を生まないための教育や、万が一問題が生じても適切に対応できる体制の整備にも取り組むことが重要です。
厚労省の指針では、事業主に対し、自社の従業員がカスハラ問題への関心と理解を深め、他の事業主が雇用する従業員に対する言動に必要な注意を払うよう、研修の実施など必要な配慮に努めることを求めています。
また、事業主自身や法人の役員も、カスハラ問題への理解を深め、取引先など他社の従業員に対する言動に十分注意を払うよう努めなければなりません。
そのため、カスハラ被害への対応だけでなく、取引先や委託先などに対する適切な言動についても社内研修の内容に盛り込むなど、「加害者にならない」という意識を組織全体で共有することが大切です。
万が一、他社の従業員に対するカスハラ行為が疑われる事案が発生した場合も、適切に対応することが重要です。
被害を訴える企業側から事実確認などへの協力を要請された際、必要な調査に協力するよう努めることが求められます。もちろん、協力を求められたことを理由とする契約解除など、不利益な取り扱いをするべきではありません。
また、調査に協力した従業員に対しても解雇などの不利益な取り扱いをするべきではありませんが、カスハラの事実が確認できた場合は就業規則などにもとづき、懲戒などの必要な措置を講じることが望ましいとされています。
カスハラ対策の義務を怠った場合、企業にはどのような不利益が生じるのでしょうか。カスハラ対策が義務化されたことの意味を正しく理解するために、想定されるリスクを整理していきます。
カスハラ対策が法的な義務となったものの、罰則は設けられていないため、措置を怠っても、罰金などが科せられるわけではありません。ただし、義務を十分に果たしていなければ、都道府県労働局による助言や指導、勧告の対象となります。
さらに、勧告を受けても従わなかった場合は、企業名が公表される可能性があります。企業名の公表は社会的な評価や信用の低下を招き、取引や採用などに影響が及ぶリスクがあるため、罰則が設けられていなくても軽視するべきではありません。
カスハラ被害を受けた自社の従業員から、損害賠償を請求されるリスクにも注意が必要です。
事業主は、従業員が安全で健康的に働けるよう配慮する安全配慮義務を負っています(労働契約法第5条)。カスハラ被害を放置し、従業員がうつ病などの精神疾患を発症したような場合、安全配慮義務に違反したとして損害賠償を請求される可能性があります。
もし、カスハラ被害が重い精神疾患の発症や長期間の休職・離職につながれば、高額な損害賠償金の支払いを命じられることも考えられます。
一方、従業員がカスハラ被害を受けた場合に、必ず安全配慮義務違反が認められるわけではありません。カスハラ対応に関する方針やマニュアルの策定と周知、研修の実施、被害が発生した際の迅速な対応などに取り組んでいれば、義務違反が否定される可能性があります。
実際のケースとして、コールセンターの従業員が、顧客からわいせつ発言や暴言などのカスハラを受けたことを巡り、勤務先に対して安全配慮義務違反にもとづく損害賠償を請求した裁判例があります(東京高裁判決令和4年11月22日)。
従業員は裁判で、企業側が刑事告発などの法的措置を取らず、カスハラから保護するために必要な対応を怠ったと主張しました。これに対して裁判所は、心身の安全を確保するためのルール(電話の転送や一時的なミュート、上司・複数人での対応など)を定めて適切に運用していたことなどを踏まえ、安全配慮義務違反を否定し、損害賠償請求を退けました。
適切なカスハラ対策の検討と実施は、被害の発生を防止するのはもちろん、万が一トラブルが生じた場合も、安全配慮義務の遵守を証明する有効な手段となるでしょう。
カスハラ対策を怠るリスクは、行政処分や損害賠償だけにとどまりません。
カスハラは、労災認定の基準となる「心理的負荷評価表」において、強い心理的負荷の原因となり得る具体的な出来事として位置付けられています。そのため、従業員がカスハラによって精神障害を発症した場合、労災に認定される可能性があります。
従業員が労災に認定されると、休業補償や療養補償への対応に加え、休職者の代替要員の確保や職場復帰支援など、人事・労務上の対応が長期にわたることも少なくありません。
さらに、人材の確保や定着に大きな影響が及ぶこともあり得るでしょう。
カスハラが退職理由につながることは十分に考えられます。カスハラ被害を放置したことで退職者が相次げば、採用や教育に甚大なコストが必要です。
もし、「カスハラ被害が多いのに、きちんと対策してくれない職場」というような評判が、企業に対するクチコミサイトやSNSなどで広まれば、採用自体が困難になるかもしれません。
多くの業種・業界で人手不足が問題視される中、カスハラ対策は人材確保の観点からも必須の対応と考えることが重要です。

カスハラ被害の放置は、従業員の心身の健康を損なうだけでなく、人材流出や生産性の低下、企業イメージの悪化など、企業の成長や存続にも関わる重大なリスクにつながります。そのため、カスハラ対策は法令違反を回避するためではなく、従業員が安心できる勤務環境を整えるための重要な経営課題として取り組むことが大切です。
一方、東京都の調査結果からもわかるように、カスハラと正当なクレームとの判断の難しさが、防止対策を妨げる大きな要因となっています。しかし、社内の知見だけで対策を進める必要はなく、外部の専門家の視点を取り入れることで対策が大幅に進むことが期待できるでしょう。
この点、企業法務に詳しい弁護士であれば、カスハラが発生した際のトラブル解決だけでなく、未然防止に向けた体制整備まで幅広い支援が受けられます。
たとえば、カスハラを発端とする次のような場面で、スムーズな解決を目指した対応を任せることが可能です。
また、カスハラの未然防止に向けては、カスハラ対策の方針や社内規程、対応マニュアルの整備、管理職や従業員を対象とする研修の実施などを依頼できます。特に、顧問契約を締結すれば、弁護士が自社の業種・業態や商品・サービス、顧客対応の実態などを詳細に把握できるようになり、より実情に即した実効性のある助言を受けられるでしょう。
弁護士法人プロテクトスタンスは、多くの企業と顧問契約を締結しているため、企業法務に強く、さまざまな業界の事情に精通しております。また、社会保険労務士として活動する弁護士も在籍しており、カスハラ発生時の迅速な対応はもちろん、労務管理の視点も踏まえた社内体制の整備・運用まで、総合的なサポートが可能です。
従業員をカスハラの被害者にも加害者にもさせない職場環境の整備をご検討の際は、ぜひお気軽にご相談ください。